たかが襟、されど襟 ~襟の発祥と変遷について~

その他

こんにちは! 理系スタイリストのNAGです。

ファッションの正解は人それぞれ。
でもそれは科学(客観的データ)×心理(個人的嗜好性)で説明できます。
是非、私と一緒に、
あなたが本当に着ていて自信の持てるコーディネート」を探してみませんか?

詳細はこちらの診断メニューをご覧ください。
またお申込みやご質問はこちらのお問い合わせからどうぞ。


***
以前ジャケットについて色々調べた際、そもそも襟って何であるんだろう?と不思議に思いました。
家庭科の授業で洋裁実習をやった方ならわかると思うのですが、あの襟の構造….結構複雑で、まちがえてつけてしまう生徒が続出していました。

私も、当時型紙を見ながら、ここをまず縫って、それをひっくり返して襟を作って、中表にして首周りに縫い付けて….と色々悪戦苦闘した末に、見事、無事に襟ができたときにはとてもうれしかったのを今も覚えています。

しかし、こんなにめんどくさいことをなぜやるんだ..。極論、布に穴をあけて頭を出すところさえ確保すればよいではないかと思いませんか?

また、ひとえに襟といってもものすごい種類がありますが、なぜこんなにもバリエーションがあるのでしょうか?

色々調べるうちに、面白いことが分かってきました。

襟の発祥

前述したように首周りに沿って襟を付けるというのはそれなりに手間がかかります。

しかし、だからといって「Eureka(エウレカ)!」と言ってある日突然入浴中に「人類に襟は不可欠である」と思いつくようなものでもないと思います。

きっとなんとなく、「穴から顔が出ているだけってのも、何だな….」ということで付けてみたのがきっかけで、その後、「こうすると、もっといいな」とか「こうすると、なお良いぞ」とかそういう感じで派生していったのではないかと、勝手に推察します。

襟は、いつごろから洋服に付けられたのでしょうか?

困ったときのWikipediaということで受け売りで恐縮ですが、襟というものは衣服において、首を取り囲む所につけられている部分のことであります。

ただし、本来は、衣服の身頃に取り付けられているかどうかは関係なく頸部につける円筒状の物の総称をいうのだそうです。

えー….。エリザベスカラーとかこういうもの(頸椎カラー)が起源??

元始、襟は立っていたのであった(寒いから)

元のソースはすべて県立新潟女子短期大学の研究紀要である「衿の分類」という平沢和子さん(この方は他にも面白い論文を沢山発表しています)の文献です。

これがすべてなので、それ以上深い考察はできないのですが、この文献によると、東洋服装史論攷を書いた杉本正年氏によると古代中国にはすでに襟の概念もバリエーションも存在していたようです。

それ以外の地域においても、襟は基本的に自然発生したと考えられているのだそうです。

そこ(なぜあんなメンドクサイものが自然発生したのか)が解せないのですが…。

14世紀後半に描かれた仕立て屋の男性の服(プールポワン、ダブレットなどとも呼ばれるそうです)には襟が含まれていて、この時までには、すでに庶民の洋服にも襟というものが付けられていたということが分かっているのだそうです。

白いプールポワンを着た16世紀の仕立屋。Wikipediaより
フリルのついたスタンドカラーが確かにありますね

立襟は男子のプライド 右肩上がりに頂点を目指す

プールポワンは、もともと鎧の下に着る防寒着で、最初は襟はなかったようなのですが、14世紀末から防寒対策としてこのようなスタンドカラーがつけられ、次第にそれが高くなっていったそうです(!)。

また、これは防寒着ということで、キルティングのように中に綿を詰めるのですが、その詰め方が、次第に胸板や肩の部分により厚く詰めるようになり、その部分を誇張するような詰め方になっていきました。

まあこういうことですよね。結局

また、お金持ちは、それに加えて高級な生地を使い、ボタンや襟の装飾に凝りだす….と….。

そうこうするうちに襟はどんどん立ち上がり、ついにはあの襞衿という形まで到達しました。

男子の価値は襟の高さと比例しない法則をようやく知る

その後17世紀になると、それらの誇張が下火になり、襞襟の代わりにスタンドカラーの内側から平襟を肩のあたりまで垂らすようになったようです。

ようやく現代の襟らしくなってきました。

一足遅れて日本でも流行


ちなみに、そのころ日本に来ていたポルトガル人は皆このプールポワンを身に付けていたので、日本でも着物の下にプールポワンを着るのが流行したそうです。

キリシタン大名かな


そしてポルトガル人はプールポワンのことをジュバンと呼んでいたので、それが襦袢の語源となったそうです。へぇ….。

襟は自意識と自己主張の塊 理由なんてないのさ

「襟の分類」の記載を抜粋すると、

「衿はそれぞれ固有の形態を持ち,見る人に異なった印象を与え、ある時は保温効果を発揮し,またある時はその美しさ・新しさ故に人を楽しませている。」

「衿に限らず服飾は人の体に沿うことによってその形が生まれ、無限の変化を持つ人の心と体と共に存在し,その複雑さがデザイン活動の理論化を困難にしている。」

「衿は衣服の構成上顔の近くにあること,比較的機能性を問わないことから,形の変化は衣服デザイン中最も多様で人の飽くことない創作活動の一端をみることができる。」

という文章がありますが、まさに言い得て妙ですね。

襟はもともとは防寒機能を目的して作られたのかもしれません。

しかし襟というものが、どうしても構成上顔の近くにあるため、モテとか権威とかそういうものを表現するために、通常では非効率的とも思える変遷をたどり、それは単に理論では説明できないものであるということです。

立襟がだんだん高くなり、フリルやら下着やらをチョロチョロのぞかせることが自己表現手段の一種になっていた当時、襟のデザインに血道を上げる若者を横目に、ため息をついていた年配者がきっといたに違いありません。

襟はなぜできたのかということを調べてこのような結論にたどり着きましたが、
100年後、21世紀の日本で若者がズボンから下着をチラ見せする理由を本気で調べる人が出てくるかもしれません。